みなみおおさか



朝日新聞大阪本社
  堺支局、関西空港支局、富田林支局の
      記者が赤裸々に語る!
 

          
支局の窓
                  
            
新聞の窓
(2011年 12月号)

朝日学生新聞社教育メセナ部
高橋 宏輔      
   
 

 さて、今年も残すところ1ヶ月となりました。私が今夏、堺市内でニュースショーを3回開催し、多くの子どもたちと新聞の授業をしたことがつい昨日のことのようです。本当に時が経つのは早いものです。

 12月といえば、受験生の皆さんにとって、追い込みの時期になります。受験生の皆さん、体を崩さないように頑張ってください。

 私は、朝日小学生新聞と朝日中学ウイークリーという教育紙で教育メセナ部というところに所属しています。教育メセナ部は、学校や塾などで新聞の授業をしたり、小・中学校や児童養護施設などに新聞を寄贈したり、またはニュースショーやスクラップ講習会などを開催しています。今回は教育についてお話させていただきます。

 まず、私が保護者の皆様からよく尋ねられる質問を紹介します。

 「うちの子が勉強をしないのですが、何をさせれば良いでしょうか?」実は、この解答は簡単です。勉強は親に言われてもやらないことが大前提なのです。子どもというのは、親や大人が考える以上に考えて発言し、行動しています。大人が無理して勉強させても、子どもはいつか息切れし、勉強を嫌いになります。いつかは分かりません。小学生のときもあれば、高校生になってからや大学生になってからという場合もあります。つまり、無理矢理勉強させても子どもにとってあまり効果がないのです。イソップ物語にある「北風と太陽」をご存知でしょうか。北風と太陽が、旅人のコートを脱がす競争します。北風が強風をおこして無理矢理はぎ取ろうとしたら、旅人はコートを脱ぐどころか、しっかりとコートを押さえてしまいました。太陽が日光を当てると、旅人は自分からコートを脱いだという話しです。教育というのは、まさに「北風と太陽」なのです。

 つまり、子どもたちに勉強しなさいというよりも、なぜ勉強しなければならないのか、勉強することでどのような良いことや楽しいことがあるのかを説いてあげれば子どもは勉強が自分の問題であると考え、自分から勉強するようになると思います。

 私は、今は教育紙を担当していますが、前職は塾の講師でした。昔も現在も多くの子どもたちと接していますが、子どもたちが大人以上の洞察力と問題解決をする力を持っていることを子どもたちから教えられ驚くことがよくあるものです。


飯と人を求めて
(2011年 11月号)
朝日新聞大阪本社 社会部
 富田林支局長       
玉置 太郎
   
 
 
 28歳、独身。一人暮らしの記者にとって、最も重要な任務は、支局近くの飲食店の開拓です。僕が入社して1年目、島根県松江市に赴任した際、先輩記者に言われた今も心に残る言葉があります。

 「記者ならコンビニで飯を食うな」。

 それは一つには栄養が偏って体調を崩さないようにしろという意味。もう一つには、外で食事をすることで地元に食い込んでいけという意味の教えでした。

 新人記者にとって、この教えを守るのはなかなか難しいものです。慣れない仕事に振り回され、気がつけば深夜。最後の気力を搾ってコンビニに寄って帰るのが関の山、ということもしばしばありました。それでも松江にいた4年間、日本酒で酔いたいときはこの店、県外のお客が来たら地元の魚がうまいあの店・・・などなど、仕事はさておき、山陰ならではの豊かな食生活を築き上げることができました。

 さて、富田林に赴任して5カ月余り。先輩の教えを忠実に守り、少しずつ開拓は進んでいます。そこで出会う人々との交流も南大阪ならではの「濃い」ものです。

 支局そばの居酒屋では、初めて店に入るなり、店主の夫婦が「あんた朝日の記者か?」。歴代の記者も訪れていたようで、僕が手に持った新聞を見てピンときたそうです。今では野菜たっぷりの定食を作ってもらい、仕事の愚痴を聞いてもらう、僕の癒やしスポットになりました。

 赴任2日目に入った最寄り駅近くのうどん屋では、うどんのおいしさは言わずもがな、カウンターの隣に座ったおばさんにいきなりビールをごちそうになりました。そのまま意気投合し、今ではそのおばさんがやっているクリーニング店が僕の行きつけです。

 一方、僕の出身地である堺では「わがまちの繁盛店」という本紙大阪版のコーナーで、南海堺東駅近くのたこ焼き屋を取材しました。このたこ焼き屋は、食べ放題があるユニークな店。僕が高校生のころにもよく行った思い出の店です。しかしじっくり話を聞けば、ここの店長、かつては大きな建設会社の社長だったというのです。バブルのあおりで会社が倒産。裸一貫からたこ焼き屋を始め、雑誌にも取り上げられる人気店に成長させたそうです。「商売は人と人との交わりや」という言葉が強く心に響きました。

 初めて訪れる店の扉を一人であけるのは、なかなかに勇気がいるもの。ですがその先にはきっと、うまい食事だけにとどまらない出会いが待っているはずです。さあ今日はどこに飲みにいこうか。


伝える、台風被災地の実態を
(2011年 10月号)
朝日新聞大阪本社 社会部
   堺支局長 
野中 一郎
 
 
 
 9月に入り、台風12号で紀伊半島を中心に大きな被害が広がりました。亡くなられた人は全国で62人、行方不明者は34人(12日現在)。農作物や漁業など影響も深刻です。さらに豪雨で崩れた土砂が川をせき止めてできる土砂ダムが、奈良、和歌山両県で確認され、雨が降ると決壊する恐れがあるとして、緊迫した状況が続きました。

 私は9月4日から和歌山総局に入り、和歌山県那智勝浦町、新宮市、田辺市の被災現場に入った若手記者のまとめ役を務めました。土砂崩れや川の氾濫(はんらん)、増える人的被害や孤立する集落――。次々と入って来る県内の被害の状況に言葉を失いました。

 実は和歌山県は私が朝日新聞社に入社し、記者として初めて赴任した「初任地」です。県内の全域を車で走り回って、懸命に取材したことを思い出します。今も印象に残っているのは、山や海など豊かな自然と人の温かさです。そんな思い出の地域が、台風で大きく傷つきました。

 和歌山に入り、私はまず、台風被害の実態を伝えようと考えましたが、それは予測を超えていました。ライフラインも遮断され、当初は情報をつかむのも困難な状況でした。田辺市の伏菟野(ふどの)地区では、斜面の土だけでなく下の岩盤ごと一気に崩れる大規模な土砂崩れが起き、「深層崩壊」が起きた可能性があります。

 過疎高齢化が進む山間地域では、道路などが遮断され那智勝浦町や新宮市を中心に孤立する集落が相次ぎ、お年寄りらが取り残されました。7日の朝日新聞夕刊社会面に掲載された「老老介護、泥まみれ、妻寝たきりで避難断念」という記事を覚えている読者のみなさんも多いかと思います。

 被害の大きかった那智勝浦町市野野地区で70歳の夫と右半身が不随で寝たきりの71歳の妻が泥で埋まった自宅で取り残されているという内容です。私は取材した富田林支局の玉置太郎記者からこの内容を聞いたとき、すぐに原稿を書くように指示をしました。これが過疎高齢化が進む被災地の実態だと感じたからです。

 今、被災地では救命・捜索から復旧・復興へと段階は動いています。ボランティアの支援活動も始まりました。私は和歌山総局から堺支局に戻りましたが、隣の大阪から被災地支援などの記事を書き続けたいと考えています。

 自然災害は想定を超えてやってきます。私もこの機会に「防災」について改めて考えたいと思います。


泉州愛
(2011年 9月号)
朝日新聞大阪本社 社会部
関西空港支局長    
真常 法彦  
 初めての泉州での生活。期待と不安を胸に5月9日、関西空港支局に赴任した。駐車場に車を止め、愛犬さくら(柴♀・1歳6カ月)とともに道路を1本横切り、4階建ての局舎に向かった。

 その時、ふと視界の隅に黒っぽい塊がチラリ。あっと思った瞬間、ヌチャッとした感触が、お気に入りのニューバランスのスニーカー越しに足先に伝わった。まさかの洗礼。40手前にもなって、こんなことが起こりうるのか。お食事中の方は申し訳ありません。お察しの通り、それは人のそれよりもやや大きな、犬のフンだった。

 以降、巨大なフンは支局周辺のいたるところで、しかもかなりの頻度で目撃されることになる。時には駐車場の鉄柵沿いにひっそりと。時には歩道の上にどーんと鎮座していた。複数の犬の仕業か。周辺で野良犬を見たことはなく、残念ながら飼い犬のフンを始末せずに立ち去る飼い主が近所にいる、と推理せざるを得ない。

 まあそういう私も、人のことをそうとやかく言える立場にはない。今でこそトートバッグ片手のお散歩ルックが板についてきた(と思う)が、岐阜の実家では、犬を散歩に連れて行ってフンを拾った記憶はない。むしろ「肥やしになる」とか言って、田んぼや畑でしたい放題させていたぐらいだ。

 牧歌的な光景、とポジティブに捉えられなくもないが、やはり現代において人と犬が共生するためには、フンの後始末などのマナーは必須。ましてやここは西日本の空の玄関、泉佐野市。そんなものが道にコロコロ転がっていてはいけないのだ。気づけば、早くも私のなかに、地元愛らしきものが芽生えていた。この「にわか」地元愛、実は新聞記者にとって大きなモチベーションになる。この街のために、この人たちのために。そんな思いが、市民目線の記事、役立つ紙面につながる、と思っていたりする。

 だいたいフンの主の目星はついている。散歩中、手ぶらで犬を連れた飼い主を近所で何人かみかけたことがある。やはり大型犬のあの子か。それともいつも元気なあの子か。もしその「現場」に居合わせたら、やんわり話しかけてみよう。地元愛、泉州愛を持って接すれば、思いはきっと伝わると思っている。

             ◇   ◇   ◇

 朝日新聞大阪本社・社会グループで主に事件・事故を担当してきました。泉州を中心に大阪の様々なニュース、ちょっといい話をみなさんにお伝えしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

ドッグラン使用のため、初めて撮った犬の証明写真。もう少し老けさせると飼い主の顔になります。


記者も歩けば
被災地からの発信に期待
(2011年 8月号)

朝日新聞論説委員
辻 篤子   
 先日、宮城県岩沼市を訪ねた。知人が主宰するNPOが、津波で海水が入り込んだ畑に「塩トマト」を植えるというので、同行した。

 畑の塩分によって甘みを強めた熊本県の特産品をヒントに、新しい名産にしようという試みだ。

 もっとも、岩沼の塩分は熊本よりもはるかに高い。苗の根を短く切って新しい環境に適応しやすくし、また塩分濃度を下げてくれるバクテリアを散布するなど、うまく育つための工夫をこらして植え付けた。

 この様子は、紙面でも報じられたので、ごらんになった方も多いだろう。

 記事を書いたのは、仙台総局の平間真太郎記者だ。宮城県出身で、5月に札幌から赴任したばかり。東日本大震災の復興取材を強化するため、岩手、宮城、福島の3県で増員された約30人の1人である。

 平間記者は30代の若手だが、赴任した中にはベテランも少なくない。

 論説委員室の同僚、伊藤智章記者もその1人だ。名古屋本社から岩手県宮古支局に赴任した。水の問題や防災に造詣
(ぞうけい)が深いベテランの社会部記者で、大震災後、何度か現地に入り、今後の防災対策に関する社説を書いてきた。

 管内の田老地区には、高さ10mの巨大防潮堤があったが、津波で破壊され、大きな被害が出た。自然の猛威に対し、人がつくったものはあまりにもろかった。命を守るために、どんな町をつくるのか。現地でじっくり考えたいという。

 ほかにも、さまざまな経験や思いを持った記者たちが、被災地で取材を始めた。現地からの発信に、注目していただきたいと思う。


*8月号「支局の窓」は都合により変更いたしました。
ただいま 堺
(2011年 7月号)
朝日新聞大阪本社 社会部
  富田林支局長       
玉置 太郎 
 読者のみなさま、はじめまして。5月に富田林支局に赴任して参りました、玉置太郎と申します。実は僕、生まれも育ちも堺。朝日新聞の記者になった22歳の春まで、南海・堺東駅のすぐそばで暮らしていました。

 就職後は、島根県の松江で4年、京都で1年、記者修行を積み、実に5年ぶりに南大阪に帰って参りました。現在、住まいは富田林支局ですが、堺支局員も兼務することになり、南河内と堺を駆け回る毎日を送っています。

 大阪を離れた5年余りのうちに、一番変わったことは堺市が政令指定都市になったことでしょうか。僕の実家の住所には、いつの間にやら「堺区」という区名が入っていました。また、街中では「堺」ナンバーの車がすっかり主流で、海辺には巨大な商業施設やシャープの工場も完成していました。

 そんな変化の一方で、堺の変わらない良さにもいくつも再会しました。幼い頃からお世話になったチンチン電車、高校の部活動で何十周と走った仁徳天皇陵、千鳥足で歩いた堺東の銀座通り商店街・・・。思い出の詰まった場所の話を記事にし、地元の人に読んでもらえることは、記者冥利に尽きる喜びです。

 一方の南河内。大阪にいた当時からなかなか足を踏み入れることがなく、恥ずかしながら「何の印象もない地域」というのが正直なところでした。しかしいざ住んでみると、わずか1カ月余りのうちに、自然、文化、歴史と南河内の魅力を次々に思い知らされ、反省するばかりです。

 赴任直後の5月中旬には、流行の「山ガール」を対象に大阪府などが開いたトレッキングツアーに同行取材し、金剛山に登りました。小学6年生の遠足以来の金剛登山でしたが、頂上付近の素晴らしい眺めに、昔の記憶がよみがえりました。6月初めには、河内長野にある約300年前創業の造り酒屋を取材し、地酒のうまさに心身ともに酔いしれました。プライベートでは、支局の近所に江戸時代からの古い町並みが残る富田林・寺内町を歩き回り、行きつけのご飯屋さんを開拓するのが目下の楽しみです。

 同じ南大阪でも、堺と南河内ではまた全然違う「顔」がある。南大阪に生まれ育った僕自身、知らなかったことばかりです。そうした南大阪の魅力に、読者のみなさんと一緒に気付いていけるような記事が書きたい。愛する南大阪の「ええ話」「おもろい話」をしっかりと“書き倒したい”と思っています。



復興、堺から伝える
(2011年 6月号)
朝日新聞大阪本社 社会部
  堺支局長 
野中 一郎
 
 読者のみなさま初めまして。5月10日付で、堺支局長に着任した野中一郎と申します。南大阪での勤務は今回が初めてとなりますが、高校時代は3年間、堺支局管内の高校に通っていたこともあり、懐かしい思いがあります。政令指定市の堺市を中心とした新任地での勤務に気を引き締めてがんばろうと思っています。

 これまでの記者生活は和歌山を振り出しに神戸、大阪、松江などを回り、前任は大阪本社・社会グループでした。

 3月11日に発生した、東日本大震災では発生から10日余り後に被災地の岩手県に取材で入りました。三陸地方の沿岸を回りましたが、津波で家々が流されがれきの山となった集落や、津波後の火災で焼けた街を目にした時には、一時ぼうぜんとし立ち尽くしていました。

 被災地で今、何が起きているのか。被災された方々はどうしているのか。津波被害の大きかった岩手県中部の山田町を中心に取材を続けました。

 津波で避難所までが流されたある小さな集落では、被災した住民が身を寄せていたのは高台の民家でした。ライフラインがずたずたになるなかで、飲み水は近くの沢からバケツリレーでくむなど、厳しい生活が続いていました。でもそこには地域のコミュニティーに支えられた人の絆がありました。「気心のしれた人ばかりだから、少しぐらい不便でもここがいい」。未曽有の大災害のなかで、地域で支え合いながら乗り越えようとしている姿に心を揺さぶられ、記事にまとめました。

 岩手から大阪に戻る前日、住民の避難先となっている民家に自家発電機が持ち込まれ、初めて裸電球がともりました。オレンジ色の光の下で、みんなで作ったアツアツのカレーライスをほおばりる、5歳の女の子の笑顔は忘れることができません。

 全国各地に東日本大震災で避難してきた人たちが暮らしています。復興に向け、何を伝えていくべきなのか、ここ堺の地でも改めて自分自身に問いかけながら取材を続けたいと考えています。

 新聞はみなさま読者に支えられています。今後ともよろしくお願いします。


お世話になりました
(2011年 5月号)
朝日新聞大阪本社 社会部
関西空港支局長    
千葉 正義
 
 私事ですが、5月10日付で、関空支局から大阪本社社会グループの本隊に異動することになりました。約2年間、泉州の皆さんには大変お世話になりました。この場をお借りして感謝申し上げます。
 振り返りますと、来て早々、北米で新型インフルエンザが発生し、空港の水際対策の取材に追われました。空港という場所柄、世界で災害やテロなどが起きると、出入国する乗客の皆さんへの取材に駆けつける必要があり、いつも気が抜けない持ち場でした。

 受け持つ対岸の自治体も、関空があったからこそですが、全国でも指折りの厳しい財政の泉佐野市など、取材しがいのあるところが多かったと思います。

 この2年間で、関空も伊丹との経営統合が決まるなど、激動しました。全日空が主な出資者となる格安航空会社(LCC)も関空を拠点に運航を開始します。いずれも本当にうまくいくのか、見届けることができずに関空を離れるのは寂しい気もしますが、今度は少し離れた場所から、注目させていただきたいと思います。

 街だねなどの取材では、地元の方々に大変お世話になりました。正直まだまだ足りなかったと反省していますが、取材を通じ、個人的にも泉州の魅力を発見できたと思っています。

 そんな中、3月11日、東日本大震災が発生しました。対岸はあまり揺れなかったようですが、関空島内にいた私は、ゆっくりとした大きな横揺れを感じました。いまだに被害の全容は分からず、福島原発は収束する気配もありません。

 私も1週間ほど、岩手県に取材に駆けつけました。街全体が完全に流され、ほとんど何も残っていない現場に立ち、色々なことを考えました。今回の震災は、被災地である東北地方だけでなく、関西も含めた全国に衝撃を与えています。3月11日を境に、世の中がまるで変わってしまったかのような感覚すらあります。関空だけ見ても、せっかくこれからという時に、外国人観光客は激減しています。これまでやってきたことのすべてが見直しを求められているようで、その大きさに途方に暮れているというのが正直な感想です。

 話は戻りますが、転勤とはいえ、拠点が大阪市内に移るだけですので、今後も取材などでお世話になることがあるかと思います。引き続きよろしくお願いします。



いつでも好奇心を
(2011年 4月号)
朝日新聞大阪本社 社会部
富田林支局長       
阪田 隼人
 
 読者の皆様、こんにちは。温かい日差しと共に出会いと別れの季節がやってきました。私は5月から富田林支局を離れ、大阪市内に異動することになりました。1年間、皆様には様々な側面から支えていただき、大変感謝しております。

 この1年、支局に来て多くの方々とのすばらしい出会いがありました。その中で、富田林市の坂根正春さん(69)との出会いも忘れられない思い出の一つです。

 昨年の春です。朝、扉をたたく音がして開けてみると、カメラを掲げて自転車に乗った坂根さんが笑っていました。「わしはカメラが趣味でいつも市内を回ってるんや。何かいいニュースあったらすぐ教えるからな」

 その時は正直本気にしていませんでしたが、それは本当でした。本来、記者はネタ元を明かさないのが鉄則ですが、坂根さん本人の承諾を得て今回は特別に紹介させていただきます。

 1発目は昨年4月23日付けの大阪版。悲しいニュースだったのですが、同市の石川河川敷で地元のNPOが子どもたちに喜んでもらおうと思ってかかげていたこいのぼりが、無残にも次々と何者かによって倒されていました。

 前日の昼ごろに、現場を通りかかった坂根さんから「大変なことになってる」と連絡が入り、私もすぐに駆けつけ、地面で雨に濡れ泣いたようにも見えるこいのぼりを写真に収めました。

 続いて12月23日付け大阪版。富田林市内の電柱になぜか羽曳野市内の住所を示す表示板が掲げられていたのです。これも近所でチラシ配りをしていた坂根さんが偶然見つけ、直接写真に撮って支局に駆けつけてくれました。急いで2人で元の場所へ行き、近所の人にも尋ねました。ずっと前からあるようだが、理由がわからない。市役所に問い合わせると、「何かの間違い」としてその日のうちに取り外されました。

 記事化には至らなかったものの、ほかにも声を弾ませて連絡をしてくれる坂根さんからは様々なおもしろい話を聞かせてもらいました。これぞまさに、地域の皆様と一緒に作る「大阪版」です。

 いくつになっても好奇心を持とう。坂根さんとの出会いは記者として、人間として豊かな人生を送る大きなヒントを与えてくれたと感謝しております。私の後任には、京都総局の玉置太郎記者がやって来ます。何とぞよろしくお願い致します。皆様の好奇心を彼に託していただければ、うれしい限りです。



堺の隠れた?歴史遺産
(2011年 3月号)
朝日新聞大阪本社 社会部
堺支局      
佐藤 達弥
 
 堺市には仁徳陵古墳(堺区)や千利休の屋敷跡(同)など、有名な歴史遺産が数多くあります。しかし、奈良時代の名僧、行基(668〜749)とのかかわりについてご存じの方は意外と少ないのではないでしょうか。西区には行基の生誕地とされる家原寺、堺区には行基が掘ったとされ、人々の間で皮膚病に効くと評判になった「閼伽井(あかい)」と呼ばれる井戸があり、ほかにも創建伝説が残る寺院が複数あります。

 中でも、視覚的に最もインパクトの大きな存在が中区土塔町の「土塔」です。2月13日付大阪版の「まちぶら 土塔町かいわい」でも紹介させていただきましたが、土を階段状に盛ったピラミッド型の仏塔で、一辺の長さは約53メートル、高さは約8.8メートル。斜面のうち2面は約5万枚の瓦で覆われ、平安時代の文献には727年から築かれたとあります。行基が造営にかかわった奈良の大仏が完成する25年前のことです。

 行基の血筋については朝鮮半島からの渡来系とする説があり、土塔の建造やため池工事で協力したとされる技術者たちも渡来人とのかかわりが指摘されています。「陶邑(すえむら)」と呼ばれる古代の陶器生産地があった南区では、渡来系工人の作品とみられる5世紀前半の土器が見つかったこともあります。堺というと中世の国際都市のイメージが強いですが、もっと古くから「韓流」の技術を積極的に採り入れていたのかもしれません。

 堺市は現在、経済発展が続くアジアからの観光客誘致に力を入れています。昨年11月には「市インバウンド(外客誘致)振興研究会」を設置し、今秋までに観光客の国籍に合わせた観光ルートをつくるとしています。今年2月9日には駐大阪韓国総領事館の呉榮煥(オヨンファン)総領事が竹山修身市長を表敬訪問し、韓国からの観光客誘致を働きかけました。

 誘致策の一つとして、私は土塔を始めとする行基ゆかりの遺跡を推したいと思います。土塔の形の由来については不明な点が多いのですが、海外からやってくる観光客や研究者が増えれば、謎の解明にもつながると期待されるからです。昨年には平城遷都1300年祭が奈良県で開かれ、奈良時代への関心が高まりました。堺の隠れた歴史遺産が、もっと多くの人に知られるようになってほしいと思います。



安心できる住まいを
(2011年 2月号)
朝日新聞大阪本社 社会部
堺支局長   
室矢 英樹 
 読者の皆さまは、お正月をいかがお過ごしでしたか。一つ屋根の下、古里の家族や仲間らと酒を酌み交わし、近況や昔話に花を咲かせたのでしょうか。その温かい雰囲気を、今、当たり前のように味わえない人たちがいます。

 私は昨年秋から「住まい」をテーマに取材・執筆活動を続けました。「公営住宅が削られる」(11月28日付朝刊)▽「知られる家賃滞納歴」(12月20日付朝刊)▽「格安ハウス」(同27日付夕刊)−−などです(一部、見出しは東京本社発行分)。

 不況が長引き、住まいを確保することすら難しい人たちが増えています。たとえば、月収20万円の非正規労働の単身者が家賃6万円に住んでいるとします。収入から税金や国民年金、雇用保険、国民健康保険を納め、光熱水費や交通費、携帯電話料を支払うと、残り10万円余りが家賃と食費です。食費は値段の安いものを購入したり、食べる量を減らしたりして削ることも可能です。しかし、家賃は値引きできません。

 時短や賃下げによる減収でいちばん生活費を圧迫するのは家賃です。非正規労働の場合、多くの正社員のように社宅や独身寮、住宅手当など住宅関連の福利厚生の対象となっているケースはまれです。その結果、減収や失業に伴い、家賃の支払いに窮して、住まいから出て行かざるを得ない人が多数出るのです。

 ところが、家賃が安い公営住宅は維持・管理に多額の税金がかかり、供給増よりも、むしろ削減方針を固める自治体が主流になりつつあります。取材した公営住宅では高齢の入居者の孤独死が相次いで起きていました。

 民間借家では、一度でも家賃を滞納し、完済しなければ「ブラックリスト」に載って、次の住まいを借りる際に契約を拒否される恐れも出てきています。実際に入居拒否にあった人にも会いました。

 頼りの綱だった家族も減収にあえぎ、実家に戻ることもできない若者。独立したくても、入居時の初期費用を用意できない若者。そんな人たちを受け入れる格安の民間借家も登場しています。

 年末、取材した人たちは孤独な中を、どう新年を迎えたのだろうと、思いを馳せました。今年こそ、長く続く不況にピリオドを打ち、安心して暮らせる年になってほしいと強く願っています。


動物もそれぞれ
(2011年 1月号)
朝日新聞大阪本社 社会部
関西空港支局長    
千葉 正義

 先日、岬町の「みさき公園」に京都市動物園からキリンが嫁入りしたというニュースを取材しました。嫁いだ「音羽(おとわ)」というキリンは、30年前にみさき公園から沖縄に嫁いだキリンの孫にあたります。47年続いて途絶えた同園のキリンの血統の6年ぶりの復活を意味し、多くの関係者が詰めかけて祝福しました。みさき公園は1957年に開園して9頭のキリンを購入してから、その子孫も含めて子宝に恵まれ、65頭が誕生したそうで、かつて「キリンのみさき公園」と呼ばれた時代もあったそうです。今回、そうして他の動物園に提供されたキリンの子孫が里帰りしたことになります。

 動物のニュースでは、7月に泉南市のサザンビーチで11年ぶりにウミガメが産卵したニュースも思い出されます。卵は9月に無事、ふ化し、赤ちゃんガメが巣立っていったのですが、この時は、ふ化の瞬間を逃すまいと取材も大変でした。いつ出てくるか分からないため、海辺で張り込むことになりました。しかし、なかなか出てこないため、結局、現場で3泊することになりました。夏も終わりかけており、夜はだいぶ過ごしやすくなっていましたが、一晩中うたた寝しながら過ごしたため、さすがに翌日は仕事になりませんでした。たかがカメではありますが、こういう動物もののニュースは読者に非常に読まれるため、体を張っての取材になったわけです。

 同じ泉南市では11月、6年半にわたって飼い主と一緒に子どもを見守り続けてきた犬に市長から感謝状が渡されたという話もありました。

 しかし、動物もすべてがこうしたほほえましいニュースとして歓迎されるわけではありません。11月には、同じ泉南市でイノシシが小学校などに入り込み、小学生ら5人がけがをする事件がありました。イノシシは結局、南海電車の線路に入り、電車と衝突して死ぬという悲しい結末を迎えました。

 もともとはアフリカから連れてこられたキリン、人工砂浜で卵を産んだカメ、山から人里に迷い込んだイノシシ。それぞれ人間からの扱われ方には相当の差がありますが、共通しているのはもともと生きていた環境から離れ、人間の都合の世界で生きざるを得ないということです。動物で1年を振り返ってしまいましたが、それにしても、なぜここまで泉南市に集中したのでしょうか。不思議なものです。