みなみおおさか

    あなたとASAをつなぐふれあいコミュニケーション
 みなみおおさか通信
わが街・人

いつもの街の新しいもの、懐かしい風景、素敵な人たち。
素晴らしい出会いを、ここから。


2007年 12月号
幽玄の世界へ誘う能面を打って20年
西田健さん(富田林市錦織北)
専用の作業場で
1986年1月、1年がかりで
完成した処女作

 横幅16~17cm、長さ23cm、厚さ8~10cm。木曾産の檜材のブロックをノミで削り、型紙に合わせて輪郭、額、鼻、口、目などを粗彫り。面の表情が決まったら、慎重に、丹念に、ノミの刃先を細かく使って彫り進めていきます。

 顔を覆う面の裏に漆を塗り、乾燥させた後は、いよいよ表面の彩色。下塗り用の胡粉(ごふん)を塗り重ね、サンドペーパーで整え、上塗り用の胡粉を塗布してから、髪の毛と眉を描き、目元、口元、歯などに彩色を施して、さらに立体感と古さを出すために古色をかければ完成——。

 「1つ打ち上がるのにおよそ100時間かかります。彫刻に半分の50時間、後の半分が彩色。両方ともそれぞれに難しさがありますが、やっぱりでき上がったときの喜びは格別ですね」

 こう話す西田健さん(74)が傾倒しているのは、能面づくり。日本の代表的古典芸能である能楽に用いる能面。5つの流派によって異なる能面を使用する場合もあり、その種類は300種を超えると言われています。

 「面を打つ」人を能面師といいますが、もちろん西田さんはそれを職業にしているわけではありません。謡(うたい)を手がけていた縁から、20年ほど前から能面師の先生に習って始めました。あくまで趣味とはいえ、これまでに打った面は100を超えます。

 「普通は、昔から伝わる古面の型を取った型紙に合わせて彫っていくのですが、すべて型紙があるとは限りません。そんな場合は写真を見ながら彫ることになります。これが大変なんです」と西田さん。

 作品の一部を見せていただくと、趣味で作られたものとはとても思えない見事な出来栄え。「作ったものはどうされるのですか?」と聞くと、「能にお使いになるということで差し上げたことが1度ありますが、あとはお祝いに贈ったりする程度で、ほとんど手元に残してあります」。

 年に1回、7月の第2金・土・日曜日の3日間、大阪のリーガロイヤルホテルで開く能面づくりの教室の展覧会が作品の発表の場。富田林市の工芸美術展にも毎年出展しています。

 「いつか個展を開くことができれば」という西田さん。素晴らしい作品がまだまだ増えていきそうです。



作品の一部

  
2007年 11月号
尺八とフルートで奏でる“父娘”二重奏
吉田善宏さん・奈穂さん(堺市南区晴美台)
笛水流横笛宗家(吉田笛水)でもある吉田善宏さん

 尺八の荘重な音色が静かに流れ始めると、すぐにフルートの涼やかな音色がそれに重なり、響き合い、やがてひとつに溶け合ってゆく——。尺八とフルートのデュエットを奏でるのは、吉田善宏(都山流尺八師範・吉田鐘山(しょうざん))さん(59)、奈穂さん(22)父娘。

 詩吟を聴いて伴奏の尺八の音色に魅かれたのがきっかけで尺八を始めて35年。「当時流行っていたギターやドラムは苦手。吹く楽器ならいけるかな、と習いに行くようになりました」と話す吉田さん。基本の腹式呼吸ができるようになるまで、早くて半年、遅いと1年。微妙なアゴの動きで半音を上げ下げ、首を動かすだけで音色がまるで違ってくる尺八に、吉田さんも「最初はうまく音が出せなくてあまり熱心に練習をしませんでした」。結婚して子どもができ、15年ほどしてからようやく人前で演奏できるようになったと言います。「何でもそうですが、尺八はとくに少しずつでもコツコツと続けることが大事なんです」

 尺八と併せて手がけていた横笛に奈穂さんが興味を持ち、父と一緒に吹き始めたのは10歳のとき。吉田さんの尺八と奈穂さんの横笛で「お誘いがかかると、2人でどこへでも出かけていきました。子どもが吹くと少々音がうまくでなくても褒めてくれるんです。そうするうちに私自身も上達していきました」。
吉田奈穂さん

 中学3年生になった奈穂さんが横笛からフルートに持ち替えてから、今のスタイルになりました。現在、大阪芸術大学の大学院生としてフルートを続ける奈穂さんに「お父さんと一緒に演奏するのはいかがですか?」と聞くと、「楽しいです。小さいときは、ときどき音が出なくなって恥ずかしい思いもしましたけど。ただ、横笛をやっていたせいで、私のフルートは和風っぽいと言われるんです(笑)」。

 父娘のコンビで老人ホームや養護施設などを訪問、ボランティアでの演奏は200回以上。来年3月で会社を定年退職する吉田さんは、「来年からもっといろんなところへ行きたいと思っています。次の世代に和楽器のよさを伝えるためにも、健康な間は吹き続けていきたいですね」。隣で奈穂さんが「私たちの演奏をいろんな人に聴いてほしいです」と言うと、「娘だとやっぱり呼吸が合うんですよ」とうれしそうに笑いました。

■「都合のいいときに来ていただければ」という音楽教室(尺八・横笛)と2人のボランティア演奏「アンサンブル笛」、さらに奈穂さんが友人と3人で組む「Museなでしこ21」への問い合わせ、演奏依頼は、ブログhttp;//ikegakkai.cocolog-nifty.com/

独特の世界を創る「アンサンブル笛」の演奏
「Museなでしこ21」とのセッション

  
2007年 10月号
人との出会い、つながりが財産

世界陸上大阪大会のボランティアで奮闘した長谷雅子さん(南河内郡千早赤阪村)
世界陸上には、娘の公美子さんも
語学ボランティアとして参加。
長谷さんは、「私も英語ができたら
もっといろんな人と話ができたのに」

 この夏、大阪・長居陸上競技場で開催された「第11回IAAF世界陸上選手権大阪大会」。長谷雅子さんは大会期間中、関西国際空港にいました。海外からやってくる選手、メディア、大会関係者の人たちを出迎えて、ホテルなどの宿泊場所に向かうバスへ案内するためです。帰国する人たちを航空会社のカウンターなどへ誘導するのも仕事。「インターネットで募集を見て申し込みました。やってみたいと思ったら即実行! それが私の長所でもあり、短所でもあるんです。今回、本当は長居陸上競技場が希望だったんですけど」と笑う長谷さん。

 もともと保育士をしていた長谷さんは、子どもの小学校入学を機に退職。その後発達の遅れた子どもたちとの遊びの教室の手伝いやPTA,子ども会の役員などをしながら、いちばん下の子が地元の千早赤阪村少年少女合唱団(現シープスジュニア合唱団)に入ったことをきっかけに、大阪府国際交流財団(OFIX)にボランティア(ホストファミリー)として登録しました。

 海外の留学生などを自宅に泊め、ともに生活をするホストファミリー。最初に外国の子どもたちのホームステイを受け入れたのは、1996年8月。千早赤阪村少年少女合唱団との交流でアメリカ・サクラメント市の合唱団から中学生の女の子、ジュリアンとジェシカが、自宅にやってきました。「私を含め、みんな英語はできません。でも、身振り手振りと片言の会話で充実した時間を過ごし、2泊しただけなのに別れるときは悲しくて涙々。その楽しかった思い出がずっと今でも残っているんです」

 その後、アメリカ、ヨーロッパはもちろん、南米やアジアなど、いろんな国から20人以上が、千早赤阪村の緑豊かな自然に囲まれた長谷さんの家で、日本の暮らしを体験しました。ホストファミリーとして苦労することはありますか、と聞くと、長谷さんは「歓迎している気持ちを伝えることでしょうか。食べ物はできるだけ日本食を用意するようにしていますし、お風呂の入り方も日本の習慣のまま。金剛山や奈良へ一緒に出かけたり、トランプ遊びは万国共通ですからみんなで楽しんでいます。ただ、やはり別れるときがいちばん辛いですね」。最初は「一期一会、二度と会えないもの」と諦めていましたが、メール交換をしたりするうち「自分が訪ねていけばまた会える」と思うようになって、気持ちが楽になったと言います。実際、シンガポールや上海から来た子どもたちには、長谷さんのほうから会いに行きました。

「家族の協力がないとできませんが、条件が許す限りこれからもいろんなボランティアを続けていきたい」という長谷さん。「自分が一生でできることは限られていますが、ボランティアを通じていろんな国、世代の人と接し、その人の経験や夢を共有できたときの幸福感を味わったり、自分を反省すること、教えられることがいっぱいあります。私にとってはそれがいちばんの財産です」

1996年8月、サクラメントの合唱団の女子中学生が初めて自宅に

  
2007年 9月号
観濠クルーズへいらっしゃい

「堺の〜んびりクルーズ」で観光ガイドをする細野はつえさん(堺市堺区香ケ丘町)
「堺のことをもっと知ってほしい」という細野さん

 「堺に住んでいても、内川や土居川があることを知らない人が多い。旧市内の歴史をもっと知ってほしいです」。こう話すのは、環濠めぐりの観光船でガイドを務める細野はつえさん。

 昨年10月、NPO法人・観濠クルーズSakai(高杉晋理事長)が「より多くの市民に川に関心を持ってもらおう」と始めた「堺の〜んびりクルーズ」は、中世に堺が自由都市として栄えた頃にできた環濠を、文字通り船でのんびりめぐるツアー。12月から翌年3月下旬までの冬季休業期間を除き、毎週土日(真夏の8月は日曜のみ)に運航していて、細野さんはボランティアで1日最低2便、多いときは全便に同乗して、堺のまちの歴史や見どころを案内しています。

 堺出身のご主人と結婚して堺市内に住み始めるまでは、奈良でバスガイドをしていた細野さん。クルーズのガイドをするようになったのも、その経験を買われて「ぜひに」と誘われたのがきっかけです。「瀬戸内海の離れ小島」で生まれ、もともとなりたかったのは歌手。高校生のときには有名なテレビ番組「スター誕生!」のオーディションを受ける予定もあったといいます。「朝一番の船に乗ってもオーディション開始に間に合わなくて…」。その1、2年後に番組からスターへの階段を駆け登っていったのが、山口百恵さんでした。

 今も「歌うことは大好き」という細野さん、観光船内でも「じゃあ1曲歌います!」と、十八番の「瀬戸の花嫁」などを披露することもあるそうです。ガイドの仕事は「人とのふれあいが好きなのでとても楽しい」と言いますが、川の清掃活動に参加していることもあり、やはり気がかりなのは川の水の汚れ。内川、土居川には海の水が引き込まれているため、大和川から海へ流れていったさまざまなゴミが、再び流れ込みます。「私たちの大事な川が汚れるのはつらいですね」。

 堺のまちの歴史、魅力を再発見するとともに、地元の川に美しさを取り戻そうと、細野さんたちがボランティアで支える「堺の〜んびりクルーズ」。運営は協力してくれる会員(年会費個人会員1万円、法人など賛助会員3万円)が頼りです。また、就航する船も現在は市内のロータリークラブから寄贈された1隻(8人乗り)のみ。増便してより多くの人に楽しんでもらうためには、船を増やさないといけません。ぜひみなさまのご協力をお願いします。


とくに桜の季節にはいつも満席に
▼歴史をたどる環濠めぐり「堺の〜んびりクルーズ」
運航期間/3月下旬(桜の開花時期)〜11月の土日(梅雨の期間は運休)
運航時間/午前11時〜午後3時30分(90分ごとに出航、所要時間約50分)
定員/1隻6人
料金/大人1,000円、小人(小学生以下)500円、幼児は大人1人につき1人分無料
予約・問い合わせ/NPO法人・観濠クルーズSakai
 ホームページ:http://www.kc-sakai.com

  
2007年 8月号
泉北ニュータウンあのころ

多治速比売(たじはやひめ)神社名誉宮司・吉田醇一さん(堺市南区宮山台)
「入居が始まった年のことは忘れもしません」
という吉田さん


 「ニュータウンができる前は山と田んぼ、あとは池があるだけの、まるで孤島のような土地でした」

 昭和42年12月、宮山台のまちびらきがスタートして以来、今年でちょうど40年。現在、5万3000世帯、約15万人が住む泉北ニュータウンの誕生当時の様子を語るのは、多治速比売神社の名誉宮司・吉田醇一さん(87)。宮山台という町名の由来となったように、国の重要文化財でもある多治速比売神社は、地域に欠かせない存在。ニュータウンの造成を進めていくうえでも、重要なポイントとなったのが、神社の存続問題です。当時宮司だった吉田さんは、およそ1カ月がかりでニュータウンにふさわしい神社とする計画を作成。それが認められたことが、以後の開発計画の進展に大きく寄与することになりました。

 42年12月末に最初の500世帯が入居。それまでの世帯数から一気に倍増するということで、さっそく翌年の正月には参拝客が押し寄せると期待した吉田さんたちは、入居し始めた新しい住民宅を訪ね、案内のチラシを配って回りました。しかし、「引越しで忙しいときでしたから、みんな『何しにきたんや』という顔です。『多治速比売神社? そんな神社聞いたこともない』と」。実際、年が明けて初詣にやってきたのはわずか10人ほど。落胆した吉田さんでしたが、その翌年からは1年ごとに倍増していって、3年目で100人を超すくらいの人数になり、5年目には参拝客がズラリと並ぶようになったそうです。

 「今は若い人がどんどん外へ出ていきますが、泉北ニュータウンで生まれた人にとってはここがふるさとだし、よそで生まれてここへきた人には第2のふるさと。ですから、多治速比売神社が氏神さんやということで今もたくさん来てくれます」

 また、吉田さんを抜きにして語れないのが、実行委員長として奮闘した「泉北まつり」です。49年8月に第1回が多治速比売神社隣の荒山公園で催され、以後、平成3年を最後に幕を下ろすまで、泉北高速泉ケ丘駅前噴水広場、栂・美木多駅前多目的広場、西原公園などで、毎年開催された泉北ニュータウンの夏の恒例行事。吉田さんらが発起人となって地元オリジナルの「泉北音頭」が生まれるなど、ニュータウン住民の“ふるさとづくり”に大きな役割を果たしました。

 40年が過ぎようとしている今、そこに暮らし、同じ歩みを続けてきた人たちにとって、泉北ニュータウンはどんな街だったのでしょう。みなさんの「思い」をお聞かせください。


多治速比売神社
第12回泉北まつりであいさつする吉田さん

  
2007年 7月号
楽しく踊って元気に幸せに
泉北日本民謡協会 「槇遊会」 (堺市南区槇塚台

「体が続くかぎり踊っていきたい」
という神柱さん

 午後1時半、槇塚台集会所に艶やかな着物姿の女性たちが集まってきます。

「きょうは花笠音頭のおさらいをしましょうか」

 先生が声をかけると、流れてくる曲に合わせて踊りが始まりました。手振りの大きい人、遠慮がちな人、足の運びがまだぎこちない人…一糸乱れず、とはいきませんが、それぞれに心から踊りを楽しんでいる様子がうかがえます。

 彼女たちは、泉北日本民謡協会「槇遊会」のみなさん。昭和57年から槇塚台で踊りを教えていた河村瑠璃子(竹仙流家元・竹仙遊雀)さんが、「地域のために」と地元の老人会などに声をかけ、健康づくりとコミュニケーションを目的に発足したのが4年前。最初は14人ほどでしたが、少しずつ増えて今は22人。年齢は60代が中心で、なかには80歳をすぎている人もいます。

 毎月2回、第1・3水曜日の午後1時30分〜3時30分の2時間、槇塚台集会所に集まって稽古。踊る曲は北海道から沖縄までの伝承民謡が中心。会長の神柱千鶴子さん(74)は「歴史から始まって、その土地の風景が目に浮かぶように、先生が指導してくれます。それが魅力なんです」。

 会員は全員槇塚台に住む人たちで、今や地域の演芸大会や夏まつり、盆踊りには欠かせない存在になっています。これまで堺市民オリンピック、堺まつり、御堂筋パレードといった大きなイベントにも参加しました。

 「気持ちが明るくなるし、何より健康にいいのがいちばん。集まってみなさんの顔を見ていると元気が出ます」と神柱さん。指導する河村さんも「楽しんでもらうことが大事。何もプロの舞踊家になろうというわけではないのですから」と言います。

 7月13日には、和泉市の弥生の風ホールで行われる「南條隆一座とスーパー兄弟公演」の前座を務めるほか、9月23日の堺市民芸術祭への参加も決まっています。

 この夏も、あちこちで素敵な踊りを見せてくれることでしょう。

河村先生(前列中央)と「槇遊会」のみなさん


  

2007年 6月号
第8回ショパン国際ピアノコンクール in ASIA

  大学生・一般の部で最優秀の金賞に輝いた小西早哉佳(さやか)さん
                          
(堺市東区北野田)


「誰かの記憶にとどまる演奏ができたら」
という小西さん

 『あなたの演奏に投げキッスをしました!』
 今年1月、東京・浜離宮朝日ホールで開催された「第8回ショパン国際ピアノコンクール in ASIA」の大学生・一般部門で見事金賞に輝いた、同志社大学商学部4回生の小西早哉佳さん(21)。ファイナルステージの演奏後、審査員の1人からこんな賛辞を贈られたそうです。

 このコンクールは、ショパンの音楽を通じて国際レベルの演奏家を発掘・育成することを目的に開かれているもので、北海道から沖縄まで10地区に分かれた地区大会を勝ち抜き、さらに全国大会で入賞した演奏者だけがアジア大会の本選に進めます。小西さんは同志社香里高3年で出場した第5回大会の高校生の部で銀賞を獲得しており、今回3年越しで念願だった最高峰の座に昇りつめました。

 「ショパンは奥が深くて、何時間弾いても飽きることがありません。タッチ、音色などの技巧も大切ですが、どれだけ気持ちを理解して弾くか、内面が重視される作曲家です。コンクールではみんな同じピアノで弾くのですが、『本当に同じピアノ!?』と思ってしまうくらい、演奏者によって音色や表現が違うのです。心と指先はつながっているとつくづく思います」と小西さん。

 ピアノは幼稚園の年長で始めましたが、音楽学校などで専門の教育を受けたことは一度もありません。小学校、中学校は普通の公立。高校、そして大学も「いろんな才能を持った人がいる活気のある校風が自分には合っていると思って」音楽とは関係のない同志社へ。 

 コンクールで結果を残し始めたのは、中学1年から。小学4年生で初めて受け「自分では完璧に弾けたと思ったのに、全然ダメで。そのとき初めて指が動くだけではいけないんだと思いました」。演奏が終わった後、「初めてお会いする方から、『○○を弾いた方ですね』と呼ばれるのがうれしい」と話します。

 「背が低くて手も小さいのに、演奏の迫力は一番」と高く評価される小西さん。昨年9月、第17回堺ピアノコンクールの大学生の部で金賞受賞。4月18、19日に行われた第44回なにわ芸術祭のクラシック音楽の新人コンクール「新進音楽家競演会」でも、ピアノ・管弦打楽器の部で新人賞を獲得しています。堺からまた1人、新しい音楽家が誕生しました。

同志社大学のランチタイムコンサートで腕前を披露

  

2007年 5月号
内川の水で、育てたヤドカリ、昆布の芽

  「こども環境活動発表会」で
       内川の活動を発表した
錦西小学校児童(堺市堺区神明町西)


「学年は変わっても活動は続けていきたい」
という萩本先生

『僕たち・私たちだって考えてるよ! 地球のこと…未来のこと…』——堺市民会館でこのほど、小学生を対象にした「こども環境活動発表会 TeRRAcoYA(地球(てら)小屋(こや))」が行われました。
(財)関西環境管理技術センターが主催、堺市などの小学生が取り組んでいる環境活動を発表しあうもので、堺市立錦西小学校3年1組の児童が「よみがえれ 内川の水 ヤドカリの観察、すくすく育てコンブの赤ちゃん」と題して日頃の活動内容を発表しました。

 錦西小3年1組では昨年1学期から総合学習として、街の有名なものを紹介する「錦西おすすめポイント」をスタート。6つに分けたグループのうちの1つが、学校の近くを流れる内川をテーマに選びました。

 最初は川の長さなどを見て歩くことから始め、「内川は普通の川とは違うよ」という担任の先生のひと言から、内川の水を調べることにしました。川から汲んだ水を蒸発させると、あとに塩が白い粉となって残り、内川の水は塩分を含んだ海水であることを発見。そこで、その水を使ってヤドカリを飼うことにしました。11月から1月、飼い始めた6匹のヤドカリのうち2匹は死んでしまったものの、残りの4匹は元気に生き続け、内川の水でもヤドカリが飼えることがわかりました。

 ヤドカリの観察とともに取り組んだのが、大阪府立水産試験場から提供された昆布の芽を、内川に浮かべた浮島で育てようという試みです。細いヒモに昆布の芽をつけ、浮島のロープにつないで沈めると、2週間後に昆布の芽が育っているのを発見しました。浮島を引き上げて見ると、ロープの上のほうはあまり芽が伸びていないのに、下のほうがよく伸びています。どうして下のほうがよく育つのか、子どもたちは考えました。「下のほうが栄養がいっぱいあるからかなあ」「酸素が多いからかなあ」「海水の塩の濃さが違うからかなあ」…。

活動内容を発表する子どもたち 内川に浮かべた浮島

「内川の水がもっときれいになってたくさんの海の生き物が飼えたらいいなと思いました」「これからもっともっと昆布を大きく育てていきたいと思います」と結んだ発表に、コメンテーターの先生は「非常にいい勉強をされて感心しました。川を川のままできれいに残しておくことの大切さをあらためて感じました。みなさんのような子どもたちがいれば、日本の川ももっときれいになると思います」と称賛しました。
 担任の萩本時男先生は言います。「地域に緑が少ない中で、内川は貴重な自然です。ヤドカリを観察し、浮島で昆布の芽を育てる実験を始めて、子どもたちは川をきれいにしたい、そこにすむ生き物を大切にしていきたいと思うようになりました」

 小学生たちの中にも、自然を大切にという思いはしっかりと芽を吹き、育ちつつあるようです。

3年1組の子どもたち

  

2007年 4月号
古くからの堺の魅力を大事にしたい

  堺の町、文化を描く画家・野村亜紀子さん(堺市堺区甲斐野町西)

「堺にもぜひ美術館を」という野村さん

 絵筆を持って45年。堺で生まれ、堺で育ち、堺の町の魅力を絵で発信している画家・野村亜紀子さん(65)。

 毎年秋に開催される「内川・土居川まつり」では、川にちなんだ作品を集めて展覧会を行っています。1回目は内川と土居川を画材に出展。2回目は世界の川を描き、3回目となる今年は日本の川をテーマに選ぶ予定です。市校区の福祉委員会で発行する冊子「かけ橋」には、平成3年10月の第1号から編集に携わり、表紙絵を担当。また、堺市議の会報紙「堺ジャーナル」では、「堺 町並み スケッチ」と題し、自筆の挿し絵を付けたエッセイを執筆中。「堺の真ん中に住んでざっと40年になりますが、あらためて堺が素晴らしい街だと思うようになりました」

 そんな野村さんが、堺の町を描いた絵はがきを初めて作ったのは10年前。もともとは、滋賀県近江八幡市の観光絵はがきの絵の制作を依頼されたのがきっかけです。その後、あちこちから絵はがきの依頼が来るようになり、「堺からも発信を」と思い立ち、自費出版で「中世の文化が息づく町 堺」を出しました。10枚セットの絵はがきは、いずれも水彩画で「旧堺港」「南海本線堺駅前」「綾ノ町交差点」「けやき通り」「大小路交差点」「石津太神社前」「鉄砲鍛冶屋敷跡」「新在家町西4丁」「大和川」「南宗寺」が描かれています。

旧堺港 内川

 そして昨年12月、第2弾として「中世の文化が息づく町二 堺」を出版。今度のシリーズで描いたのは、「内川」「石津川」「ふとん太鼓」「菅原神社」「堺市博物館」「最古の木造灯台」「シンボルロード」「フェニックス通り」「信田邸」「浜寺公園駅」。「10年前に描いた旧堺港の様子は今はもうありません。内川も以前は画材にできないほどでしたが、今は見違えるようにきれいになっています。この10年で堺もずいぶん変わりました」と野村さん。

 けれど、きれいになる一方で、古くからの建物が次々と姿を消していっているのも堺の現実。野村さんの心配もそこにあります。「堺に古くからある建物、昔から住んでいる人たちの知識を残していく方法を考えないと」。ここからさらに10年がたったとき、野村さんの絵はがきの画材はどんなふうに変わっているのでしょうか。

▼野村亜紀子さんが委員を務める大阪府美術家協会の第30回巡回展が4~5月に開催されます。南地域は4月9日(月)~14日(土)大阪府立現代美術センター、4月24日(火)~28日(土)岸和田市立文化会館マドカホール、5月8日(火)~13日(日)八尾市立文化会館プリズムホール、5月15日(火)~20日(日)堺市立文化会館(ギャラリー)、5月22日(火)~27日(日)河内長野市民交流センター・キックス。
いずれも入場無料。
  堺まつりの南蛮行列(油絵)

  

2007年 3月号
在日外国人たちの“駆け込み寺”

  「堺外国人日本語クラブ」代表・キャシー平田信連さん
                      (堺市西区浜寺諏訪森町西)

「私も最初はノイローゼになりかけました」と言うキャシー平田さん

 「聞いてるヨォ!」

 受話器の向こうから明るく元気な声が響いてきました。紹介を受け、話をうかがう日を決めようとかけた電話。声の主は、シンガポールからやってきたキャシー平田信連さんです。

 20年あまり前、現地へ仕事で来ていた日本人男性と結婚して来日。3カ月の息子を抱えた彼女をさっそく悩ませたのは“言葉の壁”でした。日本語はまったくしゃべれず、まわりに英語を話せる人はいません。「子どもを病院へ連れていっても、医師の先生が英語を話せないのでビックリした」

 日本語を勉強しようと思ったキャシーさん。けれど、日本語学校は子連れでは受け入れてくれず、月謝も交通費も高すぎます。唯一の“学校”は、いつも行くスーパー。「うちのヨメはんがなあ」「あのヨメはん、朝寝坊の怠け者で」…。おばあちゃんたちが話す言葉の意味を夫に尋ねたり、辞書で調べたりしながら、少しずつ覚えていきました。

 そのうち友だちもできてきて、無料で日本語を教えてくれる夜間中学の存在を知り、しばらく通いますが、幼い子どもがいてはそれにも限界があります。『同じ悩みを抱えている人は、ほかにもいるはず。日本にいる外国人が手軽に日本語を勉強できるところをつくれないだろうか』——キャシーさんはそう考えました。

 英会話の講師をしながら、堺市立青少年センターの1室を借りて、外国人に日本語を教える教室をスタートしたのが平成7年9月。その後、堺総合福祉会館に移り、ボランティアで手伝ってくれる人たちも増え、現在では火曜日と木曜日の午前10時〜午後12時、土曜日の午後6時〜8時30分の週3回、日本語教室を開いています。

 驚いたのは、ただ日本語を教えるだけでなく、在日外国人たちの生活相談も行っていること。内容はビザ・仕事紹介・給料・入国管理・医療問題など、実にさまざま。しかも対応は24時間。夜中でも電話がかかってきます。「警察に行ったりすることもあります。捕まった人が外国人で日本語が話せなかったら通訳がいるからネ」

 どうしてそこまで、と聞くと、キャシーさんは笑ってこう答えました。
「私たちは小さいときから、親たちにボランティア精神の“種”を植え付けてもらっている。私はいまそれをこっちで蒔いているの」
 土曜日の夜の教室。中学生が学校の宿題を教えてもらっていました。

  

2007年 2月号
堺市のシンボル「阪堺線」の存続を

  5冊目の歌集を発刊した短歌欄の選者・阪森郁代さん(堺市南区新檜尾台)

「mioの短歌欄ではなるべく初めての人を採用したいのですが…」と阪森さん

  「下の子が幼稚園に入って、昼間にぽっかり自由な時間ができたとき、ふと口をついて出た言葉が、たまたま五七五七七の形になった、ということでしょうか」

 短歌の世界に入ったきっかけをこう話すのは、本誌「短歌」欄の選者としておなじみの阪森郁代さん。初めての作品が朝日歌壇に採用され、その後3回続けて採り上げられることに。「それならきちんと勉強してみよう」と、朝日カルチャーセンターに2年間通いました。

 本格的に“歌人”として足を踏み出す第一歩になったのは、「カルチャーセンターの受講を終えようとしたとき、このままやめてしまうのはもったいないと思って」応募した、昭和59年度の第30回角川短歌賞。新人の登竜門として、短歌に志を持つ人びとの目標とされてきたこの賞を、「野の異類」という50首一連の作品で受賞しました。

 ちなみに、短歌の世界に口語を自在に取り入れ「サラダ記念日」で一大センセーションを巻き起こした俵万智さんは、第32回の受賞者。阪森さんが受賞した年には候補作となったものの受賞には至らず、翌年も高い評価を受けながら次席にとどまったのだそうです。

 その後は、受賞時の選者の1人で、とくに阪森さんの作品を強く推した故・塚本邦雄氏主宰の「玲瓏(れいろう)」に所属する一方、堺市内の公民館やりんくう文化センターの短歌教室で教えています。昭和63年に第1冊目の歌集を上梓、昨年11月には、5冊目の歌集「パピルス」を発刊しました。

 そんな阪森さんは、短歌についてこう言います。「俳句は季語などの約束事があって難しいところがありますが、短歌は31音の定型にはめ込めば誰でも作れます。写生でも心象でも自由ですし、初心者が思いがけず秀歌を作ることもあります。昔は写生重視で見たままを大事にしましたが、今は若い人たちを中心に、気持ちを短歌の形式で表現した、誰かに話しかけるようなものも多いですね。やはり俵さんが出てこられたことが大きいです。新しい人を短歌の世界に引き込んだという以上に、従来の歌人の作風も変えましたから」

 最後に、短歌作りのアドバイスを伺いました。「言葉を形に入れる、それが始まりです。思ったことを31音の定型に入れること。多少の字余り、字足らずはあってもいいですが、歌ですからリズムがないと作品として成り立ちません。文脈としてスラッと読めるかどうかですね」

歌誌「玲瓏」と最新の歌集「パピルス」

  

2007年 1月号
     堺市のシンボル「阪堺線」の存続を

「歴史・文化・公共交通から堺の未来を考える会」の志賀和子さん(堺市堺区)

個人的に古い木造長屋の保存にも取り組んでいる志賀さん

 平成17年2月23日5000人分、4月12日6859人分、18年1月24日9345人分、合わせて2万1204人分。
阪堺線存続を求めるこれだけの署名を集め、堺市に提出したのは「阪堺線の存続と東西鉄軌道計画を考える会」。
朝日新聞をはじめ、一般紙各紙が取り上げましたから、ご存じの方も多いでしょう。署名提出後、同会は「歴史・文化・公共交通から堺の未来を考える会」に改称、事務局として対外的なことすべてを担当しているのが、志賀和子さんです。

 もともと阪堺線を残したいという市民が集って、16年末、存続を訴える署名活動のスタートとともに、その受け皿として発足した会。「対外的には代表を置いていますが、参加する人が幹事。全員が動いて自由な活動をする、会員数もはっきりとはわかりませんから、そういう意味ではアメーバみたいな会ですね」と志賀さん。

 歴史や文化を含めた堺のまちづくりを考えていく。中心にあるのが市民の足としての阪堺線。これまでも署名活動だけではなく、さまざまな活動を行ってきました。例えば、17年11月、国の重要文化財でもある山口家の土間を会場に、「与謝野晶子を歌う」と題して開催した町家コンサート。これは、民間にある文化財の維持管理を考えるための、ひとつの試みとして行ったチャリティコンサートです。直接阪堺線に関わるものでは、車両にビールを持ち込んで「納涼ビール電車」を仕立てたり、山之口商店街のギャラリーで「阪堺線と堺の町を考える展覧会」を開いたり。大和川以南、堺区間の14駅それぞれの標準時刻表を手作り、1セットにして配付したこともあります。

「阪堺電気軌道や堺市がしっかり対応してくれたら、乗る人はもっと増えると思うのです。そもそも阪堺線は、人口が減って赤字になったローカルの鉄道路線とは違うのですから」という志賀さんたちが求めているのは、堺市が計画している次世代型路面電車(LRT)との相互乗り入れ。「今のままで生き残るのは無理です。第一、低床車両を導入しないと、おばあちゃんたちは乗りたくても乗れません」

 堺にしかないものを未来に向けて活かさないのはもったいない——。果たして志賀さんたちの思いは届くのでしょうか。

“チンチン電車”は多くの市民の大切な“足”